「今日はキゲンセツや」「テンチョウセツやんか」。勝手なことを言いながら、子供たちが喜々として校門を跳び出してくる。手には「祝」とかかれた小さな包み、中には紅白まんじゅうが2つ。
昭和12年ぐらいまでだったろうか。紀元節(建国記念日)、天長節(天皇誕生日)などの祝日に、小学校では式典のあと、まんじゅうをもらって帰った。家の
前では弟や妹たちが、手を振って歓声をあげながら待っている。2つだけだが分けあって、さわったり、つまんだりして、どれだけの時を楽しんだことか。
今、思うと子供たちだれもが、前の晩にわくわくして、眠れなかった日が何日かあった。遠足の前の晩、明ければ正月という大みそか、それに1年に何度かあった祝日など。
あどけなくて、たわいないほどの幼さ。あのころは、子供が、“こども”であるよさを、みんなが持っていた。
(絵と文:木村祥刀)
1994年11月3日
京都新聞 掲載
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