白い布に赤糸を通した針をさし、千人もの女性が、一つ一つ縫い玉をつくって赤い丸(日の丸)に仕上げたものを、千人針といった。
昭和12年からの日中戦争が激しくなる中で、勝利と無事を祈るお母さんや女学生たちが、日の丸が出来上がるまで街角に立って協力を求めていた。
千人針には5銭や10銭銅貨を縫いつけ、「死線や苦戦をのりこえて下さい」との願いをこめたものもあった。
青年たちは千人針の手ぬぐいをしっかり腹に巻き、勇気を得て戦場へ出征していった。
子供たちも作文や絵、キャラメルを慰問袋に入れて送りつづけた。絵は懐かしい京都の風景、清水寺の舞台や八坂の塔、平安神宮の大鳥居などを描いた。
もう一度この景色を見るためにも「生きて帰りたい」と、返事をくれた兵隊さんたちの願いは、かなったのだろうか。(絵と文:木村祥刀)
1994年12月1日
京都新聞 掲載
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