家の裏のわずかな空地に、埋めておいたカボチャの種がつるを伸ばして、黄色い花が咲くと、やがて待ちに待った実が日ごとに大きくなり、秋には見事なのが5つもぶらさがったのは、前の年のこと。
次の年、昭和16年になると、野菜類までが配給制になって「生めよ、ふやせよ国のため」と、家の中にまで張ってあった標語どうりに、どこの家庭も食べ盛りの子供たちがたくさんいてお母さんたちは台所のやりくりに四苦八苦だった。
今年はサツマイモやジャガイモも、うんと作ってやると、ところ狭しと苗を植えて、大豊作を祈りながら、ドバッ、ドバッと下肥(しもごえ)をまくと、悲鳴を
あげて逃げまわる弟たちに「秋になったら、おなかいっぱい焼きイモを食べような」と言ったら、やっぱり満腹するほど食べたかったのだろう、うれしそうにうなづいて、
ニッコリと笑った。
(絵と文:木村祥刀)
1995年 6月 1日
京都新聞 掲載
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