昭和ひとけた京育ち No.110 「防空壕」
 
No.110 「防空壕」

防空壕

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 水が入った用水やバケツ、砂袋、なわを束ねた火たたきが軒下に置かれ、窓や戸はガラスが割れてもとび散らないように、紙テープがびっしりと張ってあった。これが戦時下、昭和17年以降の家々の外観だった。

 それに防空壕(ごう)という穴が、いたる所に掘られていた。学校の校庭や公園、小さな空き地や家々の縁の下にも壕がつくられた。敵機の来襲で中に逃げ込み爆弾や爆風から身を守るためのものだった。

 もう、このころ、子供たちは遊びどころではなく、銃後を守る少国民と呼ばれて、毎日、毎日が緊張と不安の連続だった。夜も昼もぶきみな警戒警報や空襲警報のサイレンがなりひびく。

 そして昭和20年1月16日夜、僕たちの住む東山馬町一帯は、B29の爆撃をうけて、多くの友を失った。

=おわり=

(絵と文:木村祥刀)

1995年 8月 9日 京都新聞 掲載


     

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