「トフー、トフー」。ラッパを吹きながら、朝早くか夕方に売りにくる豆腐屋さん。
お隣も、お向かいも、遊んでいる子を呼んで、ナベとお金を渡す母親たち。
「いやあ、お宅も…」「うち、今夜はみそ田楽」「うちは簡単に、湯豆腐や」。そんな会話のあとは、きまって向こう三軒両隣の井戸端会議に花が咲く。
ほかに「さおーやー、さおだけえー」と物干し竿(さお)屋さん。「かさー、こうもりがさのしゅうぜん」。なんとも悠然とした呼び声は、傘の修理屋さんだ。
それに白川女や大原女、梅ケ畑からは畑の姥(うば)といった女性たち。夏が近づくと、風鈴屋さん、金魚屋さんらの涼≠売るのんびりとした売り声も…。
そんな、ゆったりした生活の音色と季節感が、京の町から消え去ってしまい、はや数十年。今はただ…あわただしい車の騒音と、耳にとび込む度に「ドキッ」と胸の痛む救急車のサイレンのみ。
(絵と文:木村祥刀)
京都新聞
1994 年 10 月 18 日 掲載
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