昔、兄弟や姉妹の多い家では、一つの衣服や学用品を、順送りに下の子まで回して使った。
衣類などは2人、3人目ともなると、色はあせ、つぎが当たったものばかり。大きな服は体に合わせ、今でいうリフォームされて、末っ子はただじーっと我慢の子 であった。
でも、上の子でも決して新品ばかりではなく、親類や近所からのお下がりがたくさんあった。
とんとん とんからりと隣組 格子を開ければ顔なじみ まわしてちょうだい 回覧板
こんな歌が「国民歌謡」として歌われだし、町内が組織化されて隣組が出来たのが昭和15年9月。
ご近所とも一層親密になって、お下がりも次々といただいた。「あの子は級長さんやし、お下がりを着て見ならわんと」なーんていわれて。
やがて街角には、「ぜいたくは敵だ」と書かれた看板が立ち始めた。
(絵と文:木村祥刀)
1995年 2月22日
京都新聞 掲載
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